日本の城(鹿児島県)
鹿児島城
鹿児島城は島津家十八代の家久が慶長七年(1602)に築いたもので,以後十二代二百七十年,明治維新を迎えるまで島津家の居城として繁栄する。
全国屈指の禄高を誇る鹿児島城は,幕府への遠慮からか天守を持たない大城となっていて、鹿児島城が攻撃を受けたのはただ一度。
明治新政府に不満を持った西郷隆盛の門下生が兵を挙げ,その責任を負って総大将になった隆盛が,熊本の攻防・田原坂の戦いに敗れ,最後に城山に籠もったが,兵力・軍事力に勝る政府軍に抗しきれず自害したのは有名な話である。