延岡城

延岡城は、豊臣秀吉の九州平定後、日向県の領主となった高橋元種が築城したものである。
当初延岡城は県城と呼ばれていた。
城主がめまぐるしく替わり、慶長十九年(1614)有馬氏が入城したときに延岡城と城名を変えている。 |

飫肥城

飫肥城は、築城年代は定かではないが正平年間に土持氏によって築かれたと云われている。
室町時代後期・戦国時代になると、島津氏が所領する飫肥城をめぐって伊東氏と島津氏が攻防を繰り返し、永禄11年に都於郡城主伊東義祐が攻め取り、次男祐兵を城主とした。
天正5年、島津氏の勢力が強まり、ついに伊東義祐は豊後大友宗麟を頼って日向を去り、飫肥城は再び島津氏の所領となり上原長門守が城主となった。
天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東祐兵が秀吉より飫肥57,00石を与えられ日向に戻ることとなった。
以後、明治まで伊東氏はこの地を動くことなく14代続いた。
貞享元年、5代伊東祐実のときに大地震で飫肥城は損壊した。
城の復興時に現在残る石垣も築かれ、近世城郭へと改修された。 |
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