佐伯城

慶長6年、豊後日田(日隈城)より毛利高政が2万石で入封。
栂牟礼城を廃し新たに佐伯の八幡山に築城した。
2万石の大名の居城としては、規模もあり、かつ堅牢な城であった。
築城時には、山頂に三層の天守を中心に、二重櫓5基、平櫓1基と7つ門が建ち並ぶ堂々とした城であった。
毛利氏は、12代高謙の時に明治を迎えるまで代々この城に居城した。
尚、佐伯毛利氏は初め「森」姓を名乗っていて、萩毛利氏とは血縁関係にはない。 |

府内城

豊後守護大名だった大友義統が豊臣秀吉により改易されると、豊後は朝鮮の役で戦功のあった諸大名に分け与えられた。
慶長2年、石田三成の妹婿福原直高が豊後臼杵より12万石で入封し新城を築いたのが現在の府内城だ直高改易後、竹中重利(竹中半兵衛の子)が豊後高田より35,000石で入封し、築城工事を引き継いで城を完成させた。
竹中氏、日根野氏と城主は替わり、万治元年に松平(大給)忠昭が豊後高松より22,000石で入封以後松平氏が明治まで10代続いた。 |

臼杵城

永禄5年、大友宗隣が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城しそれまでの大友氏代々の居城府内城からこの城に移った。
天正6年、日向耳川の合戦で島津氏に敗れて以来、大友氏の勢力は衰退し、ついに天正14年にこの臼杵城も落城した。
福原直高・太田一吉らを経て、慶長5年に稲葉貞通が美濃郡上八幡から5万石で入封した。
稲葉貞通・典通父子は2代に渡って臼杵城を修築している。
稲葉氏が14代にわたって代々続き明治に至った。 |

岡城

岡城は、文治元年に緒方惟栄が築城し、建久3年に志賀貞朝が修築して以来、大友一族志賀氏の本城として続く。
この城を有名にしたのが、天正14年に島津氏の大軍に攻められて、志賀親次以下の奮戦によりこれを撃退したことだ。
大友義統改易後、文禄3年に播磨三木より中川秀成が7万石で入城する秀成は、大改修を行い、二の丸・三の丸を整備した。
中川氏はこの地を動くことなく、明治をむかえた。 |

杵築城

杵築の城下町を見下ろす城山公園の小高い丘に建つ小さなお城はこのまちのシンボル。
大友一族、木付頼直によって応永元年「木付城」として築城され現在の城は昭和45年に復元されたもの城内には歴代藩主ゆかりの品々が展示され、天守閣からの360度に広がる眺望もすばらしい。
また200年前の本物の兜と鎧を実際に身につけることもできるコーナーもあります。
本丸跡は公園として整備され、城門、塀なども一部復元されている。 |

中津城

中津城の天守閣は、5階建て高さ23mの本丸と2階建ての櫓からなっており水城ですから、濠の水位が潮の干満によって変わります。
初代城代の黒田如水による築城で、次の細川忠興の時代に城下町を作り以後中津が商都として繁栄することになります。
江戸時代の城代は徳川譜代大名の奥平家です。 |
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