日本の城(熊本県)


八代城

八代城は、都於郡城主伊東氏一族の伊東祐広が元弘年間に築いた。

以後、伊東氏一族や宗家が相次いで所領して、永禄年間には伊東氏48城の一つとなり、伊東隠岐守が城主となった。

天正5年、伊東氏が豊後に出奔したの後は島津氏の所領となり、家臣相良長広が城主となった。

その後、慶長5年に高岡郷が置かれてその支配下に組み入れられ、八代城は廃城となった。

熊本城

1601年、肥後52万石の大名となった清正は、それまであった千葉城、隈本城を取り入れて築城し、完成した城に熊本城と名づける。

跡をついだ嫡男忠広は1632年に改易され、かわって細川忠利が入城。

以来10代240年世襲し明治を迎える。

明治10年、西南戦争を勃発すると谷干城はここに立て篭もり薩摩軍を相手に2ヶ月善戦した。

その戦火により、天守閣など主要な建物は焼失した。

人吉城

相良氏は、鎌倉時代の元久2年相良長頼が人吉庄の地頭になり遠江相良から移り、代々人吉を領し明治まで続く極めて希な領主である。

戦国時代、相良氏は佐敷城を拠点に芦北郡一円を支配するまで勢力を拡大していたが、島津義久の北上により、18代義陽はその支配下に入った。

この頃、義陽は人吉城をの大改修を初め、城の近代化に着手した。

(城の完成は、80年後の寛永16年、21代頼寛の時)20代相良長敏は、秀吉の九州征伐の時にはいち早く秀吉に臣従し、22,000石の本領安堵を得、慶長5年の関ヶ原では、最初西軍に加担したが、東軍に寝返り本領を維持した。

 

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