日本の城(高知県)


浦戸城

長曽我部元親が父祖伝来の岡豊城を廃し、大高坂(現高知城)に新城を築き始めるが治水工事に失敗、浦戸へ城地を替え、浦戸城を完成させた。

その後、関ヶ原、大阪の両陣に敗れた長曽我部盛親に代わり、山内一豊がこの城に入った。

その時、長曽我部氏の遺臣たちが城の引き渡しを拒み、盛親に土佐半国、せめて土佐2郡だけでも賜りたいと、50日にわたって籠城し、ついに城を枕に273人が討ち死にした。

高知城


高知城天守の外観は四層とも五層とも見えるますが、内部は六階で、白亜、搭載型の変形で最上層に望楼風高欄がついています。

この天守には珍しく御殿(懐徳館)が付属していて、正殿上段の間、溜の門、納戸、玄関などがあり、当時の大名の生活をしのばせます。

本丸には天守の他に、東多聞、廊下門、詰門、西多聞、黒鉄門などの建造物が残っている。

 

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