日本の城(鳥取県)


鳥取城

鳥取城は、久松山の山頂部にある山城と山麓部にある城に分かれている。

秀吉による「鳥取城の渇殺」のときは、山頂部分だけであった。

山頂部分は、詰めの城として二層の天守があり、今も天守台、多聞櫓、月見櫓の石垣が残っていて、天球丸から約30分。

山麓へと城の中核が移り、今は、櫓台が残るだけだが、その山麓の城の天守が「御三階櫓」だ。

山麓部の城は、近世城郭そのもので、累々と築かれた石塁が、32万石の居城であったことを改めて思い知らされる。

城跡には、建造物の唯一の遺構である城門が現存している。

米子城

米子城は、天正年間に吉川元春によって飯山に築かれた。

元春の子広家は、出雲月山富田城を居城にしていたが、天正16年、飯山の峰続きの湊山に新城を築いたのが、yyyこれが現在の米子城だ。

慶長5年、関ヶ原で敗れた吉川広家は周防岩国へ移り、替わって駿府城主中村忠一が伯耆一国175000石を領して入城する。

中村氏は工事半ばの米子城築城を継続し、四層五階の大天守を築き、米子城を完成させた。

慶長14年、中村忠一は20歳の若さで急逝、嗣子無く中村氏は断絶した。

米子城へは中村氏に替わって加藤貞泰が6万石で入封するが、元和3年、大坂の陣で戦功により加増され伊予大洲へと移った。
 

inserted by FC2 system