日本の城(広島県)


福山城

吉備路の南西側の山手村と清音村の境にそびえる海抜300
m余りの山頂に、南北朝時代の戦記物語「太平記」に記述がある「備中福山合戦」の古戦場で有名な福山城跡があり、国の史跡に指定されている。

ここは、奈良・平安時代の山岳仏教寺院「福山寺」のあった場所にも近く、城跡登城途中には、古代の宮跡なども残っている。

この福山城は、南北朝時代の史跡であるが、この付近は、備中南部の重要拠点の一つであるため、この時代に北の支峰には幸山城が築かれ、室町時代には備中守護代の居城となり、さらに戦国時代には幸山城をめぐる合戦が行われている。

広島城

戦国時代の武将・毛利輝元が、天正17年(1589)に築城に着手しました。

「鯉城」とも呼ばれ、かつては大坂城、姫路城と並ぶ名城として山陽路にその威容を誇り、国宝にも指定されていましたが、原爆で天守閣をはじめすべての建造物が破壊された。

現在の天守閣は昭和33年(1958)に再建されたもので、内部には、武家文化を中心とした歴史資料などが展示されている。

周辺は城跡公園になっており、サクラや紅葉の季節の美しさは格別、堀には白鳥が優雅な姿を見せる。

三原城

永禄十年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景が築いた城で、瀬戸内海の島々の海賊衆との連絡を取りやすくするため、沼田河口に浮かぶ二つの島を利用して築かれた。

満ち潮の時にはまるで海に浮かぶようだったので、別名『浮城』と呼ばれた。

のちの関ヶ原の合戦で、福島正則が芸備両国を手に入れると三原城はその支城となる。

その後、浅野家が安芸一国の領主として代わるが、三原はそのまま支城として明治維新を迎える。
 

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