津山城

この地に最初に築城したのは、美作守護職の山名教清の一族山名忠政である。
応仁の乱で山名一族の勢力が衰えた後は、しばらく廃城となっていた。
現在の津山城は、江戸時代の初期、関ヶ原の合戦の功により、美作十八万六千石余で入封し、森忠政が築城した。
森忠政は織田信長に仕えた森長可、蘭丸の弟で、森長可の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えていた。 |

岡山城

岡山城は、天守に金箔瓦があげられ、黒漆塗下見板張りの壁面で仕上げられ、その漆黒の外観から、重厚さに溢れ、安定した優雅な威容を誇り、白鷺にたとえられる純白の姫路城とともに、山陽路を代表する名城中の名城といわれる。
はじめ、宇喜多直家が石山の地に城を築き、豊臣五大老・宇喜多秀家が、その石山城を取り込み、五十七万四千石の居城に相応しい大城郭とした西国屈指の名城。
その後も小早川氏・池田氏と引き継がれた築城事業により、旭川川面に映える古式な望楼型天守をはじめ、往時には、諸櫓35基・多聞櫓6棟・城門25棟を擁する堂々たる惣構えの城郭へと変貌した。 |

備中松山城

高梁は城下町の趣きを今に残し、町の北に標高480mを最高に大松山、天神山、小松山、前山の400m級の山容がそびえるが、松山城は臥牛山といわれる小松山の山上にある。
天守閣や二重櫓、一部の土塀が現存していて、これらは国の重要文化財に指定され、日本で現存天守を持つ最も高い山城として有名である。
現在の天守は、江戸時代の水谷氏によるものである。
また、高梁市は城郭などの復元のため、平成7年から大
規模な工事を行い、本丸の東門や南門、二つの平櫓などを昔通りに再建し、城の威容は一段とました。 |

備中高松城

この城は、羽柴秀吉の水攻めで一般にもよく知られ、国の史跡に指定されている。
城主の清水宗治が切腹して城兵の命を救った話も、今に語り継がれている。
城跡は、清水宗治の首塚がある本丸跡だけ保存されていて周囲は水田であったが、数年前に二の丸跡と推定される場所などを買い上げ、遊歩道や駐車場などを設け、さらに花菖蒲や蓮などを植え、史跡公園として整備している。 |
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