日本の城(三重県)


伊勢亀山城

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関実忠が亀山の地に居館を構えたのが始まりである。
1590年蒲生氏郷の後、岡本下野宗憲が入り、現在の地
に新亀山城を築く。

1600年「関ヶ原の合戦」で宗憲は西軍で参戦したため
、亀山を没収される。

その後、城主は次々と変わる。

1632年三宅康盛の時、丹波亀山城解体を命ざれた堀尾
忠晴は、間違えて伊勢亀山城天守を解体した。

代わって天守台には多聞櫓が築かれ、1636年本多俊次
が入り、大改修を加える。

1744年に入った石川総慶が11代続き、明治を迎え、
現在は石垣、多聞櫓などが残されている。

津城

1568年、織田信長は伊勢平定を目的に長野氏所領の津を攻
め、最後、弟信包を養子に入れることで和睦した。

信包は安濃津城の名で築城開始、1580年五重天守、城郭が
完成し、1595年富田知信が入る。

1600年その子信高は、関ヶ原の合戦で毛利秀元軍に攻めら
れ、高野山へ落ち延びたが、合戦後、再び津城へ戻り加増
される。

1608年藤堂高虎が入り大改修を行うが、天守は再建されな
いまま、藤堂家が12代続き、明治を迎える。

現在は1958年本丸模擬櫓が建てられ、本丸内堀と石垣が残
されている。

松阪城

1584(天正12)年、蒲生氏郷は、松ヶ島の領主に任じられ
た。

しかし、不便なめ、四五百森に三層の天守閣を中心に金の
間櫓等11棟の建物を建造。

そして、吉祥の木「松」と秀吉の大坂(大阪)から
「松坂」と名づた。

近江日野から商人を呼び寄せ楽市楽座をしいたが、2年で会
津若松へ。

その後、服部一忠,古田重勝・重治が領し、1619(元和5)年
から明治維新まで紀州藩に統治、城代がおかれた。

城の完成は、古田重勝時代だそうだ。

伊賀上野城

伊賀上野城は三重県北西部に位置する上野市にある。

この辺りはかつては「伊賀」の国でありました。

伊賀といえば、最初に出てくるのはやはり「忍者」。

伊賀上野城(雅名:白鳳城))の敷地内には忍者博物館も
ある。

こちらでは忍者ではなく、伊賀上野城を紹介している。
 

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