日本の城(愛知県)


岡崎城

 

徳川家康が生まれた事で知られる岡崎城は、明治6〜7
年(1873~1874年)に取り壊される。

その後大正7年(1918年)かっての岡崎城主であった
本多家より市が寄贈をうけ岡崎公園として整備した。

昭和34年(1959年)には天守閣なども復元された。

春になるや岡崎城とその周辺の、乙川、伊賀川沿いに
は、合わせて1800本もの櫻が一斉に咲き揃う。

今日も櫻まつり最中で賑わっていた

吉田城

吉田城は室町末期の永正2年(1505)、今川氏に属する一
色城主・牧野古白が「今橋城」を築いたことに始まってい
る。

*一説には明応5年(1496)ともいわれている。

その後、天文15年(1546)に今川義元が城代を置くまで
、牧野氏、戸田氏、松平氏と激しい争奪戦が繰り返され、
城主も目まぐるしく変わっている。

義元が三河支配の拠点として大原資良を城代に据えてか
ら19年間は今川氏の統治下に置かれていた。

犬山城

犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の
家臣、織田広近が築いた。

初め木曽川に沿った台地にあったが五代信康のとき断崖の
丘上に本丸を移築した。

信康の子信清のとき織田信長に攻められ落城した。

その後、池田信輝、野田信房と城主を代え、天正十年(1582)信長の死後、織田信雄の属城となり、城代が
置かれた。

長篠城

武田信玄の跡をついだ勝頼は,天正3年(1575)5月,一
万5千の軍を率いて長篠城を囲んだ。

城主奥平定昌(後の信昌)は21歳,五百の城兵と共によ
くこれを防ぎ,鳥居強右衛門の働きもあって,織田・
徳川の援軍三万八千は設楽原に進撃し連吾川にそって陣地
を築き武田軍の進撃を待った。

日本最強を誇る武田軍の騎馬隊の壮絶な突入も,連合軍が
放つ三千挺の鉄砲の前に敗れ,多数の名将勇士を失った。

この戦いによって武田氏は没落し小田・徳川の勢力は絶対
的なものになった。

まさに関ヶ原・小牧長久手の戦いと共に,日本史上重大な
意味を持つ戦いであった。

清洲城

清洲城は、応永12年頃に尾張守護斯波義重が築城し
た。
 
その後、慶長15年に名古屋城築城にともなう
「清洲越し」が行われるまでの200年の長きに渡って
、尾張の府城であった。

城は、織田信長が城主となって以来、整備拡張が続けら
れた。

天正10年、織田信雄によって大天守・小天守が築か
れ、三重の堀もめぐらされた。

織田信雄改易後、秀吉の時代には豊臣秀次・福島正則が
城主となった。 

関ヶ原の戦功により福島正則が安芸広島に移され、家康
の4男忠吉、ついで9男義直が城主となった。

名古屋城

1612年(慶長17年)、徳川家康の子義直の居城として築
城。
戦災で焼失したが1959年(昭和34年)、金のシャチをい
ただく五層の大天守閣(48m)と小天守閣(24m)が再建
された。

大天守閣は重要文化財の襖絵・歴史資料を展示、3階から
5階にかけて「実物大金鯱模型」「石引き体験」「駕
篭乗り体験」、光・音による城内、城下の暮らし」をうか
がい知ることができ、誰もが楽しみながら名古屋城と名古
屋の歴史を学ぶことができる。
 

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