日本の城(福井県)


福井城

福井城は、柴田勝家が築いた、北の庄城を前身とし、
徳川家康の次男、結城秀康が北の庄城を整備改修しな
がら新たに築城したのが始まり。

結城秀康は、関ケ原合戦後、越前67万石の大封に列せ
られ、その折に松平姓に復しました。

城は、家康の次男にふさわしく巨大なもので、本丸と
二の丸の縄張り(設計)は家康の手によるものと伝え
られています。
 
本丸には高さ37メートルの4重5階の大天守が聳えて
いたが、寛文9年(1669)に焼失、以後再建されませ
んでした。

明治4年、城内の建物は破却され、現在本丸跡には、
福井県庁がある。

丸岡城

この丸岡城は天正4年に柴田勝家の甥で養子の柴田勝
豊が建てた。

勝豊はまず豊原に築城したが、交通不便の山城を捨て
、現在の丸岡に城郭を移した。

本能寺の変後、勝豊が長浜城主となると不破彦三が城
主となりその城代として安井家清が居城した。

柴田氏滅亡後は丹羽氏の城代として青山氏が居城し、
慶長5年(1600)西軍に属していた青山忠元は領地を没
収された

越前大野城

越前大野城は天正3年(1575)織田信長より大野郡の
3分の2を与えられた金森長近により4年の歳月をか
けて築城された。

石垣は石を立てず横に寝かせ大きい石を奥に押し込ん
で積む、野面積みという工法で貴重な史跡といわれ、
現在の城は昭和43年に再建されたものである。

一乗谷城

一乗谷は大規模な自然の要塞で三方を山に囲まれ、そ
の谷間に城下町があった。

一乗谷は戦国大名朝倉義景の城として有名であるが、
あまりに外界と閉ざされていた為、信長の動向に対応
できず元亀三年(1573)姉川の戦に敗れ、同族朝倉景鏡
の裏切りによって一乗谷館と朝倉一族もろともはかな
い最期を遂げるに至った。

 

inserted by FC2 system