日本の城(新潟県)


高田城

慶長19年(1614)、松平忠輝の居城として築かれた。

福島城を廃して高田城を築いた理由の一つに、幕府の命
による国役普請で有力外様大名の勢力を弱める意味があ
った。

前田・伊達・上杉氏などの13大名のうち11氏が外様、忠
輝の舅伊達政宗が普請総裁として陣頭指揮をとった。

関川・青田川・儀明川の流路を変える難工事を乗り越え
、着工わずか4ヶ月足らずで完工している。

石垣・天守閣も用いず土塁をめぐらし、本丸南西の三重
櫓が高田城のシンボル。

村上城

石垣・天守閣も用いず土塁をめぐらし、本丸南西の三重
観音山(172.2m)に築かれた山城で東西約200m、南北約
250mの規模である。

本丸は山頂にあって、東西約40m、南北約85mで不整な三
角形状をしている。

築城について、古文書によれば、文治3年(1187)平宗
清の守る村上城が落ちたとあることから、築城の時期
は平安時代末頃と思われる。

その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助良藤
によって現在の遺構のような城が築かれ、村上氏は3
代、50年にわたって居住したと伝えられている。

新発田城

越後蒲原平野の北部にかっての城下町,新発田がある。

初代藩主溝口秀勝が加賀大聖寺から6万石(後には10
万石)でこの地に入封したのは慶長3年(1598)であっ
た。

万治元年(1658)3代藩主の時,曹洞宗の高徳寺を近郊に
移して,この地を御用地となし,下屋敷を造営した。

約4,600坪(約1万5千2百平方メートル)の敷地に御殿が建
立されたのは,棟札によれば寛永6年(1666)4月で,やが
て4代重雄の時,幕府の庭方であった縣宗知を招いて庭
園の築造が行われ,その完成を見たのは元禄年間の頃で
あった。

春日山城

上杉謙信(長尾景虎)公の居城で有名な春日山城跡であ
る。

海抜180メートルの春日山にあり、高田平野を見おろ
す戦国時代屈指の堅固な山城であった。

春日山城の起こりは南北朝時代から始まり、1500年
初頭から本格的に大整備が行われた。

後、上杉家会津移封による堀秀治公の越後就封により、
子の恵俊が近くに福島城を築城転居した為1607年廃
城となった。
 

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