天正18年(1590)小田原討伐ののち関東に入った徳川家康は本多忠勝をこの地に10万石で入封させ、はじめ根古屋城に入ったが城地狭小のため新しく選地し築城したのが大多喜城である。
築城は工事は数年を要したが、本多氏は三代で移封、あと阿部、青山、阿部、稲垣と代り、元禄16年(1703)大河内正久が2万石で入封すると世襲し明治に至った。
本多氏在城のとき本丸に三層の天守があったが、天保14年(1843)火災で焼失、以降再建されなかった。
建物は明治になって取り壊されたが郭跡は残っていた。
昭和50年復興の天守と櫓は総南博物館、房総の中世、近世の歴史資料を展示している。
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