忍(おし)の地は古くは武蔵七党の一つである児玉党の領地であったが、応仁の乱後、下克上の時代となった文明年間(1469〜86)に関東管領上杉氏の被官だった成田親泰が児玉重行を滅ぼし、忍城を築いたといわれる。
戦国時代に入って、関東管領上杉憲政が小田原北条氏に追われて越後の長尾景虎(後の上杉謙信)の下に逃れ、その名跡を景虎に譲ると、成田親泰の子長泰は上杉謙信の配下に入った。
その後、成田長泰は上杉謙信と不和になって北条氏に属し、外様衆の上席として優遇され、その子成田氏長の代には総知行高24万石にまで勢力を伸ばした。
上杉謙信は幾度となく忍城を攻めるが、いかに戦上手の謙信でも、要害堅固な忍城を落とすことは出来なかった。
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