日本の城(群馬県)


前橋城

再築前橋城は、文久三年(1863)着工後、3年8ヶ月かかって慶応三年(1867)3月完成した。

城の縄張りは、旧前橋城三ノ曲輪を本丸とした渦郭式(渦巻き状に曲輪が続く様式)で、城郭総坪数は旧前橋城に匹敵した。

城を取り巻く土塁の要所要所に砲台が設けられるなど近代的な城郭であったが、完成を急ぐあまり城門や建物は簡素なものであった。

しかし、城は城郭としての機能を果たさないまま明治維新を迎え、本丸御殿(後の群馬県庁舎)を残して取り壊した。

現在、本丸後が群馬県庁となっているが、現存する城の遺構は少ない。

高崎城

室町時代中期、”和田”と呼ばれていたこの地に、和田義盛の子孫である義信が築城した。

戦国時代も代々和田氏の居城であり、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で、北条方についていたため和田氏は滅亡し廃城となる。

同年、徳川家康が江戸に移封されると、徳川四天王のひとり井伊直政を近くの箕輪城主とした。

慶長3年(1598)直政は交通の要害である和田に移り、地名も高崎と改め高崎城を築城した。

慶長6年(1601)直政は、前年の関ヶ原合戦で滅んだ石田三成の領地近江佐和山へ国替えとなる。

その後、酒井・松平・安藤・間部の諸氏を経て、享保2年(1717)越後村上城から松平大河内輝忠が入封し72000石で10代続き明治維新を迎えた。

沼田城

沼田城は利根川・薄根川・片品川によって浸食されてできた天然の要害に、天文13年(1544)沼田景秦が築城した。

以後、上杉氏、武田氏、北条氏が北上野の拠点として奪い合った。

天正6年(1587)上杉謙信が没すると、沼田城は北条氏の手に落ち、同8年には真田昌幸が掌握する。

同10年、武田氏を滅ぼした織田信長は、上野・信濃を滝川一益に与えるが、本能寺の変直後滝川氏は北条氏と戦い破れ、本領伊勢に敗走。

再び沼田城を掌握した昌幸は嫡男の信幸を入れ、叔父の矢沢頼綱を城代とする。

 

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