日本の城(福島県)


白河城

文治元年(1185)奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は結城朝光に、古来より陸奥の関門として重要視されていた白河の地を与えた。

結城氏五代親朝は南北朝時代の興国元年(1340)、現在の地に新しい城を築き、小峰城と称した。

以後、小峰城には結城氏代々が居城したが、天正18年(1590)豊臣秀吉の「奥州仕置」によって結城氏の所領は没収され、小峰城は会津若松城主となった。

蒲生氏郷、次いで上杉景勝の支配下に置かれた。

江戸時代の寛永4年(1627)丹羽長重が10万石で小峰城に入封。

関東の背後を固める城として徳川幕府の命により、寛永6年(1629)から4年の歳月を費やし、丹羽家の築城技術の粋を尽くして小峰城を大改築し、その名も白河城と改めた。

二本松城

二本松城は、山頂部の山城と山麓の二の丸からなっていて、二の丸の高々と築き上げられた石垣、その上には二層櫓、平櫓、城壁、それらに守られて二の丸の表門である箕輪門が復元されている。

箕輪門を経て御殿に至るがこの間に塀重門があり、今も枡形の石垣が残り、山頂部分は、大きくは本城・東城・西城と3つの曲輪からなり、戦国期の二本松城の姿を今に伝えていて、本城にある天守台を始めとする石垣群はなかなかのものである。 

これらは山頂の曲輪群は、二本松城が会津若山城主であった加藤嘉明の時代に支城として加藤明利が城主になった時に改修された。

会津若松城

会津若松城は、JR磐越西線会津若松駅から南西約2.5kmほどのところ、現在は鶴ケ城公園になっている。

会津若松城を築城者は蒲生氏郷、会津若松城の側のお寺に蒲生氏郷公のお墓があり、かくいう私は蒲生氏郷は戦国武将の中でもお気に入り、蒲生氏郷は知名度はそれほど無いのは、仕方ない。

鉄門 会津若松城は低い丘陵を中心にして本丸を置き、内掘で囲み、東に二の丸、その外側に三の丸、本丸の北側に北出丸、西に西出丸を置き外堀で囲んでいて、総面積24万平方メートルの巨城である。

 

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