日本の城(山形県)


米沢城

暦仁元年(1238)長井時広の築城と伝えられ、松岬城と
称した、時広は源頼朝の重臣大江広元の次男で、奥州
侵攻の軍功により文治5年(1189)長井庄地頭となる。

長井氏治世191年に及ぶ<康暦2年(1380)伊達氏8代宗遠
(む
ねとお)が、長井氏8代広房を滅ぼして長井庄を領した

15代晴宗が天文17年(1548)米沢城に移り、17代政宗は
この城で生まれ、政宗は、天正19年(1591)豊臣秀吉に
より岩出山に移封、伊達氏治世212年。

山形城

山形城は別名「霞ヶ城」、現在この名を取って城跡は
「霞城(かじょう)公園」と称されている。

山形城の歴史は古く、延文元年(1356)足利の支
族、斯波氏出身の斯波兼頼が羽州探題として山形に入
部し城を築いたのが始まり。

兼頼から11代目の子孫、最上義光は戦国大名として
武略、知略にすぐれ今の山形県のほとんどを手中に収
め、この義光のときに山形城とその城下町は整備され
現在の山形市の基礎を作られている。

特に、慶長5年(1600)関ケ原合戦時には義光は徳川
方につき、上杉軍と交戦、その功により24万石から
一躍57万石の大名になる。

この当時城下の人口は3万5千人を超え、全国でも有
数な大都市となり、「最上百万石城下」といわれるほ
ど賑わったと言われる。

しかし、義光死後の最上家はお家騒動がおき、義光の
孫、義俊の代には最上家は改易、その後山形城は鳥居
、保科など徳川譜代大名が入れ替わって入城し、最後
は水野家5万石で明治維新を迎えた。

 

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