| Qは誰しも歩んだ道に足跡を残すもの、それがその人の歴史と言えるのである。しかし、ただ漫然と無為の云十年を過ごし,ロケットの後尾の煙の如く消し去らせているのが
この管理人(以下本文中Qと呼称)なのである。
Qは、海なし県で最近、有名になりつゝあってる陶器の出土している山村に生れ落ちた。田舎の水呑み貪百姓で子沢山、男女合せて8人中の5番目で、実家は貧しい。
両親は少しでも家計が人様並に近付けたい一心で朝は陽が昇る前から夕は擦れ違いにその人の人物判別が困難な暗闇の時間まで働いていた。両親の顔も月のうち1週間から10日は見ないことが度々あった。
とにかく両親は良く働き、自己の初心を貫徹し、8人の子供達を育てゝ呉れた。お陰で8人は今も皆んな健康な日々を送っている。
幼年期のQが両親,特に母親との関係で鮮明な記憶は、ある雨の降った昼下がりに学校まで迎えに来て、母の背なに負んぶされて帰宅したことである。
Qの成長は同級生に比し著しく低下、小学1年入学時に身長が1メートルを切り97.6cmと当時の通信簿に記録されていて我ながら驚いたものである。負んぶをされて帰途中、母がぽつんと一言「明日は雨降りだ」と言った。
その時は気に止めず、今も雨だから「明日は雨降りだ」と言っても意味を持たない。その一言のもつ意味が分かったのは中学2年頃である。
貧乏生活の処世術とでも言うのか,雨が降れば外回りの仕事は制約を受けるからでる。下世話なことだが日当にならず、明日への生活に直に影響を与えるからである。
今日の仕事は今日に片ずける事「明日は明日やるべき新しい仕事が待っている・・絶えず明日に備えよ。
学校での出来事の苦い思い出は、つまらないものを食べ過ぎてお腹の調子が悪かったのも我慢して登校、朝礼時に激しい腹痛が起き、併せて???をモヨウし手洗いに向かったのだが、その途中で爆発、担任の先生にお尻の後始末を願う事になったのである。
父親との関係は、父は昔気質の人だったので子供には直接の接触は殆んど持たず母を通じて間接的なものであったが、しかし二つだけは確りとしたものがある。
その一つは中学3年3学期の始まる頃、隠れてタバコを吸っている現場を見られ、こっ酷く叱られ、殴られたこと,その時の父に対する怖さが身に沁みたこと、同時に嬉しさも感じた。
いま一つは,小学6年生の夏、どうした事なのか夜間30kmの道程を徒歩で自宅まで行進したこと、強靭な父も自宅近くの神社境内まで辿り着くと疲れと安心で寝込み出し、Qを慌てさせたものであり、その道中父が、どんな話をして呉れたかは今は定かでないが海無し県に生まれたQは俗に云う池の蛙大海を知らずで、ある大きな湖を見て「あァ海だ」と大声で叫んだので電車内の周りの人が一斉にQ親子ほうに注目したものだから恥ずかしかったと後ほど父親が語ったものである。
当時の田舎では進学する者は10人に一人の割合で「長男の子は家業の跡取り」で家業に「次男以下は町工場などへ就職」Qには手に技術を付ける為の修行と称して工務店に大工の弟子として入社、両親が自らの一生涯に貧困生活が身に沁みてかせめて我が子には貧乏生活をさせない為にも・・・・・の、親心だったと思う。
その間厳しい徒弟制度の下、辛いこともあったが今までに味わった事のない楽しい思いも沢山あった。「大相撲の地方巡業「歌手・俳優・役者などの公演」には必ず観覧させてくれた。仕事も覚えてくると面白い事も多くあったが、ボヤっとして屋根から落ちて怪我もした。
そんな親心を知らず3年間勤めたが手先の不器用が将来において成就する可能性がないと自らが認め、そんな時偶然にユニホームを纏った一群に出会い、これを契機にその工務店を退職した。
次なる就職に関して両親には即座に打ち明けられず、就職の前日に明日から新たな職場に行く旨、漸く打ち明け、落胆と驚きと心配をかけたのであるが、暗黙の了解を取り付けたのである。
この職場では初期の目的の貫徹は危ぶまれるが定年まで勤め上げることが出来た。その間に今までやりたい事が沢山あった。
それは「第一に進学(夜間高校)」「第二に自動車の運転免許の取得」であるがお陰で成就した。
まだ沢山なものを積み残してきたのが悔やまれるが自らの怠惰で今更何をや言わんである。この職場は定期的に転勤があり私にも類をみず辞令が出たのである。
その直前に、君はこの度北海道へ転勤してもらうからとの内示があったので、お断りしたい旨申し出ると「若い時は色んな地域で色んな勉強をする事が大切だ」と上司・先輩に諭されたものである。
冬はとっても寒いがスキーが楽しい、春・夏・秋の観光が素晴らしい、食材も美味しいものが豊富、第一人間関係は淡白な一面もあるがおゝらかである。池の蛙大海を知らずのQには良かったと、今その上司先輩に感謝をしている。
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