日本史人物クイズ

(問題)
推古天皇の甥で、593年に摂政となり、蘇我馬子と共に改革をすすめた人物はだれか?
(答え) 聖徳太子
(解説)
聖徳太子(574〜622)
用明天皇の子。別名、厩戸皇子・上宮太子という。
593年〜622年、推古天皇の摂政として政治に関わる。官位十二階・憲法十七条の
制定、遣隋使の派遣を実施。法隆寺・四天王を建てて、仏教を推奨。蘇我入鹿と共に、
歴史書『天皇記』『国記』を作成した。

(問題)
かつては『万朝報』の記者であったが、日露戦争開戦に反対して退社。
日露戦争終了後アメリカに渡り、帰国後は無政府主義を唱え、
1911年に刑死したのはだれか?
(答え) 幸徳秋水
(解説)
幸徳秋水(1871〜1911)
中江兆民に感銘を受け、社会主義者となり、社会民主党結成に協力。
『万朝報』の記者であったが、日露戦争に対して非戦論を唱え退社。
『平民社』を設立し、『平民新聞』を創刊。1905年、渡米。翌年帰国後、
無政府主義者となる。幸徳事件(大逆事件)により、刑死。
著書に『廿世紀之怪物帝国主義』『社会主義神髄』。

(問題)
781年、光仁天皇のあとに即位。律令政治を再建した天皇はだれか?
(答え) 桓武天皇
(解説)
桓武天皇(737〜806)
光仁天皇の子。781年に即位。律令政治再建のため、仏教勢力を避けて783年、
長岡京を遷都。しかし、藤原種継暗殺事件などの影響により、794年、平安京遷都。
勘解由使・健児の制を実施し、坂上田村麻呂に蝦夷征討を行わせる。空海・最澄を保護。

(問題)
二・二六事件(1936年)の時の首相はだれであったか?(答え)岡田啓介
(解説)
岡田啓介(1868〜1952)
海軍大将。海相から、1934年、斉藤実内閣の後を継ぎ組閣。
ワシントン海軍軍縮条約を廃棄、ロンドン軍縮会議から脱退。天皇機関説問題を排撃し、
国体明徴声明を出す。二・二六事件で襲撃されるが一命を取りとめ、終戦工作を行う。

(問題)
『たけくらべ』『にごりえ』で有名な明治中期の女流小説家はだれか?
(答え) 樋口一葉
(解説)
樋口一葉(1872〜1896)
明治中期の女流小説家。本名は樋口奈津(夏子)。1895年、『たけくらべ』
『にごりえ』で一躍有名になる。

(問題)
『日本書紀』編纂を主宰したのはだれか?
(答え) 舎人親王
(解説)
舎人親王(676〜735)
天武天皇の皇子。太安麻呂らと『日本書紀』(全30巻、720年完成。漢文・編年体)
編纂を主宰する。

(問題)
1551年、守護大名の大内義隆に背いて自殺させたその家老はだれか?
(答え) 陶晴賢
解説)
陶晴賢(1521〜1555)
大内義隆の家老であったが、1551年、背いて自殺させた。
その後、甥の大友晴英(義鎮の弟)に大内家を継がせ、自ら実権を握った。
1555年、厳島の戦いで毛利元就に敗死する。

(問題)
遣唐使の廃止をすすめたのはだれか?
(答え) 菅原道真
(解説)
菅原道真(845〜903)
文章(もんじょう)博士。宇多天皇の時代に蔵人頭に任命される。
894年遣唐大使となったが、遣唐使の派遣を廃止することをすすめた。
醍醐天皇の時代に右大臣に任命されるが、901年太宰権帥に左遷される。
『類聚国史』『菅原文草』が有名。

(問題)
江戸時代中期、寛政の改革を風刺した小説を著わし
幕府にとがめられた黄表紙作家はだれか?『金々先生栄花夢』が有名。
(答え) 恋川春町
(解説)
恋川春町(1744〜1789)
駿河小島藩士。住んでいた地名が小石川春日町であり、これをもじって恋川春町と
名乗ることになった。寛政の改革を風刺した黄表紙『鸚鵡返文武二道』が批判を受ける。
『金々先生栄花夢』が有名。

(問題)
16世紀後半に全国統一をおしすすめたが、本能寺の変により殺害されたのはだれか?
(答え) 織田信長
(解説)
織田信長(おだのぶなが・1534〜1582)
尾張国出身。織田信秀の子。
1560年、桶狭間の戦いにて駿河の戦国大名である今川義元を倒す。
1567年には美濃の斎藤氏を滅ぼす。
1568年には足利義昭を奉じて上洛を果たす。
1570年、姉川の戦いにて浅井氏・朝倉氏をうち破った。
翌年には、延暦寺を焼き討ちにし、1573年、ついに室町幕府を滅ぼす。
1575年、徳川家康と組み、鉄砲重視の戦術を用い長篠の合戦で武田勝頼を打ち破る。
1576年、琵琶湖畔に安土城築城を開始(79年完成)。
1580年には石山本願寺を屈服させる。
しかし、1582年、謀反をおこした明智光秀に殺害される。
キリスト教を保護し、検地や楽市・楽座令を実施した。

(問題)
1864年、海運貿易会社の亀山社中(のちの海援隊)を設立し、
1867年、中岡慎太郎と共に京都で暗殺されたのはだれか?
(答え) 坂本竜馬
(解説)
坂本竜馬(さかもとりょうま・1835〜1867)
土佐藩郷士。姉の名は乙女。勝海舟から航海術を学ぶ。
1864年、海運貿易会社の亀山社中(のちの海援隊。メンバーに陸奥宗光がいた)を設立した。
1866年、薩長同盟の締結に成功。1867年、『船中八策』を起草。
しかし、同年、中岡慎太郎と共に京都で暗殺される。

(問題)
日本社会党の活動を認め、桂太郎と交代で二度組閣し、最後の元老でもあった人は?
(答え) 西園寺公望
(解説)
西園寺公望(さいおんじきんもち・1849〜1940)
公卿出身である明治・大正時代の政治家。
1871年パリに留学の後、伊藤博文に認められて枢密院議長や文部大臣になる。
1903年、伊藤博文の後を継ぎ、立憲政友会総裁となる。
1906年と1911年の二度組閣し、桂園時代と呼ばれる。
1919年、パリ講和会議の主席全権となる。

(問題)
大津事件において、犯人の津田三蔵を死刑に処そうとした政府とは違い、
無期徒刑の判決を下して司法権の独立を守った大審院長はだれか?
(答え) 児島惟謙
(解説)
児島惟謙(こじまこれたか(いけん)・1837〜1908)
1891年、大審院長に就任。
同年の大津事件において、日露間の関係悪化を恐れた政府は犯人の津田三蔵を
死刑に処そうとしたが、裁判官に無期徒刑の判決を下させた。
これにより、司法権の独立は守られた。

(問題)
三菱商会を設立し、のちに日本の海運業を独占する政商になったのはだれか?
(答え) 岩崎弥太郎
(解説)
岩崎弥太郎(いわさきやたろう・1834〜1885)
土佐藩郷士出身。1871年、三菱会社を経営。1873年、三菱商会を創設。
1875年、三菱汽船会社(郵便汽船三菱会社)に拡張。三菱財閥の基礎を築く。

(問題)
717年遣唐使として唐に留学し、橘諸兄に認められ、
藤原仲麻呂の失脚後に昇進したのはだれか?
(答え) 吉備真備
(解説)
吉備真備(きびのまきび・693〜775)
学者兼政治家。717年〜735年、唐に留学。
帰国後、橘諸兄に認められ重用されたが、
藤原仲麻呂の台頭により一時冷遇される。
失脚後昇進。恵美押勝の乱を平定する際にも活躍。
その後称徳天皇に認められ、右大臣に任命される。

(問題)
文禄・慶長の役において、先鋒として出兵したキリシタン大名はだれか?
(答え) 小西行長
(解説)
小西行長(こにしゆきなが・1558〜1600)
堺の豪商の子であり、桃山時代の秀吉の武将、キリシタン大名。
南肥後二十四万石を領土とした。文禄・慶長の役において、先鋒として朝鮮に出兵。
関ヶ原の合戦で敗北し、刑死。

(問題)
最澄と同時に唐に留学。
密教を学び、帰国後それにもとづき真言宗を開いた僧侶はだれか?
(答え) 空海(弘法大師)
(解説)
空海(くうかい・774〜835)
讃岐出身の僧侶。804年、最澄と同時に入唐。2年間、密教を学ぶ。
帰国後、816年、高野山に金剛峰寺を建設。
823年、嵯峨天皇から京都の教王護国寺(東寺)を与えられる。
両寺を中心に真言宗を布教。庶民教育のため、綜芸種智院を設立。
嵯峨天皇・橘逸勢と共に、三筆の一人である

(問題)
橋や池溝の建設といった社会事業を行ったあと、
大仏造営にも協力した奈良時代の僧侶はだれか?
(答え) 行基
(解説)
行基(ぎょうき・668〜749)
交通・灌漑設備の建設といった社会事業を通じて民間に布教を行う。
717年、政府の弾圧を受けた。その後、聖武天皇の大仏造営事業にも協力。
745年、最初の大僧正となった。

(問題)
北海道において、屯田兵を設置や札幌農学校の創設に尽くした人はだれか?
(答え) 黒田清隆
(解説)
黒田清隆(くろだきよたか・1840〜1900)
薩摩藩出身。五稜郭攻略を指揮。
1870年、北海道開拓次官に、そして長官に就任。
1876年、日朝修好条規を締結。
1881年、開拓使官有物払下げ事件で一時失脚する。
1888年〜1889年、首相となる。その間、大日本帝国憲法が発布。
のち、元老や枢密院議長を務める。

(問題)
1582年、本能寺の変で信長を殺したのはだれか?
(答え) 明智光秀
(解説)
明智光秀(あけちみつひで・1526?〜1582)
織田信長に仕え、近江国坂本や丹波国を領有。
1582年、中国攻めに向かうと見せかけて「敵は本能寺にあり」とのセリフとともに、
本能寺にいた信長を襲撃。
山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、近江国坂本に敗走する途中、農民に襲われ死亡。

(問題)
明治後期、貧困生活のなか、3行書きによる生活派短歌を詠み、
大逆事件を契機として社会主義への関心をもった歌人はだれか?
(答え) 石川啄木

(解説)
石川啄木(いしかわたくぼく・1886〜1912)
岩手県出身。貧困生活のなか、口語の生活詩をつくる。
初め、『明星』に詩を発表する。
大逆事件(幸徳事件)に衝撃を受けて、社会主義に傾倒。
代表作は、『一握の砂』『悲しき玩具』『時代閉塞の現状』など。

(問題)
光明皇后の信任により政権を獲得した人はだれか?
(答え) 藤原仲麻呂(恵美押勝)
(解説)
藤原仲麻呂(恵美押勝)(ふじわらのなかまろ・えみのおしかつ・706〜764)
光明皇后から信任を受け、紫微中台の長官となる。

(問題)
立志社の社長で、板垣退助に従い、のちに衆議院議長にもなった人はだれか?
(答え) 片岡健吉
(解説)
片岡健吉(かたおかけんきち・1843〜1903)
土佐藩士出身。板垣退助に従い、愛国公党・立志社・国会期成同盟で活躍。
『立志社建白』作成の中心となった。
自由党・立憲政友会で活躍し、衆議院議長にもなった。

(問題)
酒落本作家で、代表作『仕懸文庫』が問題となり寛政の改革において手鎖50日の
処罰をうけたのはだれか?
(答え) 山東京伝

(解説)
山東京伝(さんとうきょうでん・1761〜1816)
江戸後期の戯作者。
黄表紙・酒落本で活躍するが、『仕懸文庫』が問題となり、
寛政の改革において手鎖50日の処罰をうける。
以後、読本家に転向。

(問題)
1583年、近江琵琶湖北岸を戦場として行われた賎ヶ岳の戦いにおいて、
豊臣秀吉に敗れた越前国の武将はだれか?
(答え) 柴田勝家
(解説)
柴田勝家(しばたかついえ・1522〜1583)
織田信長の重臣。1573年朝倉氏が滅亡した後、越前国北庄に本拠地を持つ。
本能寺の変以後、秀吉と対立。
1583年、賎ヶ岳の戦いにおいて敗れ、北庄にて自殺。

(問題)
桃山時代の画家で水墨画や金碧障壁画にすぐれ、
雪舟の5代目を自称した人はだれか?
代表作に、『智積院襖絵』『松林図屏風』がある。
(答え) 長谷川等伯
(解説)
長谷川等伯(はせがわとうはく・1539〜1610)
桃山時代の画家で長谷川派の祖。
水墨画や金碧障壁画にすぐれ、
金碧障壁画『智積院襖絵』、水墨画『松林図屏風』が有名。

(問題)
正岡子規の弟子で、河東碧梧桐が新傾向に向かって行ったのに対し、
子規の没後も写生と17文字の定型と季語の伝統を守り続けたのはだれか?
(答え) 高浜虚子
(解説)
高浜虚子(たかはまきょし・1874〜1959)
明治〜昭和の俳人正岡子規の弟子。
子規に続いて俳句雑誌『ホトトギス』を主宰。写生・伝統を重んじた。

(問題)
堺の豪商出身で信長・秀吉に仕え、茶道を大成したのはだれか? (答え) 千利休
(解説)
千利休(せんのりきゅう・1522〜1591)
堺の豪商出身。安土桃山時代の茶人。
織田信長・豊臣秀吉に仕えた。草庵茶室と侘茶を完成。
1590年、秀吉から切腹を命じられる。

(問題)
北条氏綱の子で、北条氏の最盛期を築いたのはだれか?
(答え) 北条氏康 (解説)
北条氏康(ほうじょううじやす・1515〜1571)
相模国の戦国大名。
後北条氏の3代目(初代は早雲、2代目は氏綱)。
伊豆・相模・武蔵・上野を領有し、北条氏の最盛期を築く。

(問題)
五奉行で財政及び検地を担当し、関ヶ原の戦いで敗北して自殺した人はだれか?

(答え) 長束正家
(解説)
長束正家(なつかまさいえ・?〜1600)
豊臣秀吉に見出され、石田光成とともに五奉行の一人となる。
財政及び検地に携わり、近江国水口を領土とした。関ヶ原の戦いで敗北して自殺。

問題)
堀川・鳥羽・崇徳天皇の時代、院政を行い実権をにぎったのはだれか?

(答え) 白河天皇
(解説)
白河天皇(しらかわてんのう・1053〜1129)
1072年、後三条天皇の後を継ぐ。
堀川・鳥羽・崇徳天皇の3代の間、院政を行い実権をにぎる(1086〜1129)。
法勝寺の建造などを実施した。

(問題)
1585年、秀吉が四国を平定した際、降参した戦国大名はだれか?
(答え) 長宗我部元親
(解説)
長宗我部元親(ちょうそかべもとちか・1538〜1599)
四国の戦国大名。
四国全土を制圧したが、秀吉に降参し土佐1国のみの支配となった。
1596年、分国法『長宗我部元親百箇条』を制定。

(問題)
五奉行で財政及び検地を担当し、関ヶ原の戦いで敗北して自殺した人はだれか?
(答え) 長束正家
(解説)
長束正家(なつかまさいえ・?〜1600)
豊臣秀吉に見出され、石田光成とともに五奉行の一人となる。
財政及び検地に携わり、近江国水口を領土とした。関ヶ原の戦いで敗北して自殺。

(問題)
1333年鎌倉に攻め入り、幕府を滅亡させたのはだれか?
(答え) 新田義貞
(解説)
新田義貞(にったよしさだ・?〜1338)
1333年、後醍醐天皇の命で鎌倉幕府を滅ぼし、そのあと武者所頭人に任命される。
恒良親王を奉じ越前国に赴き、室町幕府に対抗するが藤島の戦いで敗死。

(問題)
尊攘派の志士で八月十八日の政変後に長州藩の兵を率いて上京したが、
禁門の変で敗れ自殺した人は?
(答え) 真木和泉

(解説)
真木和泉(まきいずみ・1813〜1864)
尊攘派の志士。七卿落ちで長州藩に逃走。
その後、長州藩の兵を率いて上京。しかし、禁門の変で敗北。天王山で自決。

(問題)
幼名を牛若丸といい、平氏を壇ノ浦の戦いで破ったのはだれか?
(答え) 源義経 (解説)
源義経(みなもとのよしつね・1159〜1189)
幼名は牛若丸。五条大橋の上で弁慶を打ち破ったという逸話がある。
奥州の藤原秀衡の元で成長。平氏を一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いで打ち破る。
その後、頼朝と不仲になり秀衡を頼る。秀衡の子、泰衡に攻められ、衣川の館で自殺。

(問題)
1910年、志賀直哉らと『白樺』を創刊。
1918年宮崎県に『新しき村』を建設したのはだれか?
(答え) 武者小路実篤
(解説)
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ・1885〜1976)
大正、昭和の小説家。1910年、志賀直哉らと『白樺』を創刊し、白樺派の中心となる。
1918年宮崎県に『新しき村』を建設。
代表作に『お目出たき人』『その妹』『幸福者』『友情』がある。

(問題)
東大予備門時代、尾崎紅葉らと硯友社を創立。
新体詩や言文一致体の短編集で活躍したのはだれか?
(答え) 山田美妙
(解説)
山田美妙(やまだびみょう・1868〜1910)
明治時代の小説家で、東大予備門時代に尾崎紅葉らと硯友社を創立。
『我楽多文庫』を出版。新体詩や言文一致体の短編集を発表。
代表作『夏木立』『武蔵野』『胡蝶』。

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