日本百系(中部地区)

 

新潟=佐渡金山 

密度の高い光沢のある黄色貴金属であり、幾つかの金特有の
性質により、人類の歴史を通じて、極度に価値の高いものと
して認識されてきた。
色と輝きが魅力的であり、化学的に安定で腐食せず、
展性延性など作業性にも優れているので、古代エジプトや
クレタ文明の手細工で入念に仕上げられた金宝飾品が、
ほぼ完全に近い形で残されている。
 又、金は品物やサービスの代価として全世界で
受入れられてきた唯一の物質である。
世界の通貨システムの中で金は1970年代でその役目を
終えたが、現在でも世界の金の45%は各国政府や中央銀行に
より準備資産として保有されている。右の写真は
「http://www2.mmc.co.jp/japanese/special/sado/」サイト様から
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富山=立山・黒部アルペンルートと黒部峡谷

富山県南東部、飛騨山脈(北アルプス)の北西に連なる山々を
立山連峰といいます。
立山と称する単独の山(峰)は存在しませんが、一般的には
雄山神社峰本社のある主峰雄山(おやま:3,003m)付近にある
3,000m前後の峰の総称として立山の名が用いられる場合が
多いようです。
広義には、北は剱岳から南は薬師岳までの山々まで,すべて
含めることもあり、はっきりとした定義があるわけでは
ないようである。
ちなみに立山の最高峰は大汝山(3,015m)である。
左の写真は「
http://www.kaami.net/index.html」サイト様から
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石川=兼六園 

兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴を
そのまま今日まで残している。
もともと本園は、金沢城の外郭として城に属した外庭でした。
延宝4年(1676年)五代藩主綱紀が蓮池亭を造り、その庭を蓮池庭と
呼んだのが本園の始まりと伝えられている。
その後十二代藩主斉広が東南平坦地千歳台に竹沢御殿を造営し、
その間、新たに庭を造り蓮池庭との障壁を除き、蓮池、辰巳、山崎等
35門を建てました。
十三代藩主斉泰は、天保8年(1837年)霞ヶ池を堀り広げて増庭し、
今に見る兼六園はこのときできたもので、その構図の雄大さと技術の
優秀さは、他の追随を許さぬものである。右の写真は
http://www.bekkoame.ne.jp/~uebasami/home6.htm」サイト様から
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  上記の写真は「http://www.hokuriku.ne.jp/wacarta/preview.html」サイト様から
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福井=小浜・若狭
 
かつて小浜は奈良や京都などの中央との交易要路として栄えた。
東大寺二月堂のお水は小浜から送られるとされており、毎年3月2日に
「お水送り」の神事が行われる。
180余点ある文化財のなかには当時の中央の技術に匹敵すると
評される逸品が数多く含まれ、132にのぼる寺院数は人口比では
国内一であり、その多くが古寺・名刹で知られる。
若狭湾国定公園のほぼ中央部に面した小浜はそれ故に、
海のある奈良とも呼ばれる。
長野=上高地

記録の上では、上高地周辺の山に最初に登ったのは、
槍ヶ岳に登った越中富山の僧侶、播隆でした。
当時は山岳信仰の登山であって、いわゆる近代登山とは
性格を異にするものです。
播隆は信者を引き連れ、何度も槍ヶ岳に登ったようです。
明治になって近代化を進めるために、明治政府は多くの
外国人技師を雇いました。
その中で、英国冶金技師
ウィリアム・ガウランドは明治10年7月に槍ヶ岳に登り、
その記録を雑誌で紹介し、その中で「Japan alps」という
表現を用いたのが、今日の<日本アルプス>の語源になりました。
右の写真は「http://www.asahi-net.or.jp/~RB3Y-ITU/index.htm」
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長野=軽井沢

長野県東部、佐久盆地東端にあり、浅間火山南東部、群馬県境に位置し
標高約1,000m。軽井沢は近世中山道と北国街道の分岐点にあたる追分、
沓掛とともに浅間根三宿といわれ、宿場として発達。
優れた避暑地であって別荘、各種寮のほか、ホテル・ゴルフ場などで
夏季は観光地として賑わいを見せる
左の写真は
「http://www.bee-house.jp/index.html」

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長野=高遠の桜

関東では有数の桜の名所と知られ「天下第一の桜」といわれる
高遠城公園の桜。
かつて、馬の姿が桜の花に埋もれて隠れたという高遠藩の馬場。
明治8年に荒れたままに なっていた城址を何とかしようと、
旧藩士達が桜を移植したのが高遠公園の桜の始まりです。
毎年、1500本以上もの可憐なコヒガンザクラが高遠城址公園に
咲き誇 ります。
見頃を向かえる4月中旬には公園全体が薄紅色に染まり、
多くの観光客で賑わいます。

左の写真は「http://www.shinshu-tabi.com/index.html」サイト様から
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梨=冨士五湖と樹海 

富士・青木ヶ原樹海――今から約1000年前、平安時代の初期に
富士山(長尾山)が噴火し、溶岩流が創り出した30平方キロに
及ぶ台地は、針葉樹林が簇生する極相林によって覆われ、
玄武岩が表層する地面には多種多様な苔類が一面に繁茂する、
美しく幻想的な自然美を残した広大な原野である。
古の昔より、日本人が畏敬の念をもって仰ぎ見た富士の霊峰は、
原始的自然美を残す青木ヶ原樹海の神秘的霊性をも包み込んで、
今だに多くの老若男女を人生への諦念から異界の彼方へと誘い込む。
古の縄文から現代に至るまで青木ヶ原樹海に沈んだ多くの魂が
さまよい、生者を呼び込むのだろうか。
毎年50人とも100人とも言われる自殺、他殺、死体遺棄による
事件は、樹海の神秘的美しさとは裏腹である。

左の写真は「http://www.spy.or.jp/index.htm」サイト様から
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静岡=伊豆

江戸時代の元禄13年(西暦1700年)に、八幡神社の裏山から
掘り出された鰐口に”下田村若宮”という名が
残されていることから、南北朝・室町初期の14世紀が
下田村の成立した時期と考えられている下田の沖に浮かぶ
神子元島(みこもとじま)は、下田と石廊崎を結んだ三角形の
形をした半島の一部でしたが、陸地が沈んだり、
波にけずられたりして、高いところが残って、
島になったのだそうです
右の写真は「
http://izutanken.u-izu.com/seven/kamiike/ike.htm
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静岡=富士山

富士山文化、それは縄文中期の列石遺構を持つ千居
(せんご)遺跡、前方後方墳として貴重な浅間古墳等に
始まり、万葉集にみる雄大な富士山を詠んだ和歌の数々、
竹取物語、曽我物語など、古くから現代にいたる多彩な
文学および絵画、加えて修験道や富士講等信仰に
かかわる遺跡、伝説、伝承ならびに寺社の建造物であり、
それらは日本の文化創造に限りない影響を与えている。
左の写真は「http://www2.wbs.ne.jp/~oamack/index.htm」
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静岡=大井川鉄道(SL&アプト鉄道)

SL人気でにぎわっている大井川鉄道。
もちろん、ほぼ毎日SLは運転されてるが、
忘れてはならないのがこの電車たち。
第二の人生をここで送っているのは、
日本各地から集まった愉快な仲間。
そう、彼らこそが、地元の人たちに必要とされている、
大井川鉄道の主役のような気がする。

右の写真は「http://www2.wbs.ne.jp/~oamack/index.htm」
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愛知=犬山城
犬山城は天文六年(1537年)現在の位置に天守が造営され、
織田与次郎信康が城主となったが、天文16年(1547年)岐阜の稲葉山城で
戦死、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
その後何代か城主がかわり文録4年(1595年)石川備前守光吉が守った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の後小笠原和泉守吉次が入城した。
この石川、小笠原両氏の手によって、今世の犬山城が完成された。その後、
平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617年)成瀬隼人正正成が城主となってからは
成瀬氏が継いで明治に至った。
明治4年9代目正肥のとき廃藩置県で廃城となり天守を除くほかは殆ど取り壊された。
同24年濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門がこわれたので、
同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ唯一の個人所有として
現在に至っている。
昭和2年11月20日天皇陛下が登閣され、同10年5月13日国宝に指定された。
同27年3月29日規則改正にともない再指定された昭和36年4月から解体修理を
始め昭和40年3月2日竣工復元した。
右の写真は「http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/index.html
」サイト
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岐阜=高山

飛騨は険しい山の中、山が襞(ひだ)のように重なり、
その間に狭い谷が幾筋も伸びています。
そこにはポツンポツンと山村集落が散在していますが、
その中に、飛騨では最も古い高山、国府・古川盆地が広がっています。
初めて高山を訪れる人は、飛騨へ向かう途中で、こんな山奥に
果たして家があるのだろうかと不安になるでしょう。
しかし高山本線で分水嶺の真下を宮トンネルで抜けると、あるいは、
国道41号線で宮峠を越えると急に空が広くなります。
やがて高山の街に入り、山の中にこんな大きな町があることに
驚くのです。
飛騨は日本列島のほぼ中央に位置し、古くは縄文時代から東西南北の
文化が押し寄せ、複雑に交錯しあい、発展をしてきました。
気候は内陸性盆地型気候で、昼夜、真冬の気温差が大きく、
湿度は低くなっています。

     

      

    写真は「http://www.hidaroman.com/personal/rekishi.html
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岐阜=白川郷
1995年12月、ドイツ・ベルリンで開催されたユネスコの
第19回世界遺産委員会で日本から推薦されていた
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が、
世界遺産として登録することが決まりました。
国内では、姫路城、白神山地などに次いで6件目の世界遺産で、
保存に取り組んできた長年の努力が世界的にも認められたもので、
人類共有の遺産として保護、保存されていくこととなります。

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